ぼくがメガバンクに勤めていながら満足できないたった1つの理由
こんにちは!
ヤマナカケンジです。Twitter IDはshunzo1992です。
ブログ更新情報等発信していくので、フォローいただけると嬉しいです。
さて、今回は前回のポケモンGo記事とは打って変わって、やや刺激的な内容です。
タイトルの通り、
ぼくがメガバンクに勤めていながら満足できないたった1つの理由
についてお話できればと思います。
ぼくが言うのもなんですが、
メガバンクと言えば世間的には、
エリートと言うイメージがありますよね。
事実、同僚には少なからず
メガバンクで勤めていることを誇りに思っている人がいます。
幼少の頃からいい大学に入り、大企業に入ることを目標にガムシャラに頑張ってきた人たちもたくさんいるのでしょうからね。
彼らからすれば、世間的にみて超のつく大企業であるメガバンクで働くことは願ってもないことなのでしょう。
給料や福利厚生という面からみても、他社に比べると比較的待遇がいいのも理想的なポイントなのかもしれません。
そういった社会的評価や待遇をモチベーションとして、これから一生頑張り続けることができ、喜びを見いだせるのであれば、それはそれで素晴らしいことだとは思います。
ただ、ぼく個人としてはメガバンクで勤めていることには強烈な「ここじゃない感」を感じ、到底満足しているとは言えないような状態にあります。
そのたった1つの理由はこれです。
自分で選んだ道ではなく、他者から仕向けられた社畜の道だから。
これを見て、なにをバカな事を言っているんだ?と思われた方もたくさんいらっしゃるでしょう。
就職活動を経てメガバンクに勤めている以上、自分の意志でその道を選んだに違いないじゃないか。
そんな意見もあるでしょう。
それはごもっともです。
ぼくも就職活動の際は、
脳みそに汗をかくんじゃないかというくらい徹底的に考え抜き、
「自分にあった仕事」を選び取ったつもりでした。
このつもりという3文字がポイントです。
結局のところ、
学生は社会を経験したことがありませんし、
銀行員としての生活を送ったことも当然ありません。
したがって、企業を選ぶ際、判断の拠り所となるのはただの妄想でしかありません。
そしてその妄想を作り上げる際に学生が収集する情報には常識という名のおぞましいバイアスが潜んでいるのです。
・毎朝満員電車でギュウギュウ詰めになりながらの出勤
・業務中は上司の命令が絶対、過酷なノルマを課される
・帰りは20時ならいい方で、終電近くまで働くのが普通
・どんなに嫌でも、上司や先輩からの飲みの誘いは絶対に断れない
・風邪を引こうがなんだろうが、出勤するのが当たり前
・その会社を辞めていく者は落ちぶれているという風潮
・営業成績が悪いと名指しでみんなの前でしかられる
・営業の仕方に対して、トコトン詰められる
こんな考え方に疑問を抱く学生はどれほどいるのでしょうか。
なんとなく、それが社会というものであり、どこに入っても一緒。
まずは贅沢言わずに、会社に入れてもらうことが大事。
そんな思考で会社を選んではいませんでしょうか?
なにを隠そう、ぼく自身がそのような考えで、安易にメガバンクを選んでしまいました。
要するに、そんな考え方をしていては、
自分が心から望む選択なんてしていないんです。
満員電車が嫌だ。
通勤時間中の無駄な時間をなくしたい。
嫌な人とは極力飲みたくない。
健康を第一にしたい。
つめられたくない。
そんな考えを持ったっていいじゃないですか?
自分の考えを持たずに、常識をただ鵜呑みにしているだけでは、
社会的に良しとされること、社会的に見て体裁のいいもの、そこに自分を無理やりはめ込んでいるだけなのです。
その安易な決断こそが、他者の価値観のもと自分を押し殺しながら生きていく屍のような状態へと自分を陥れていくのです。
それはつまり自分のためではなく、他者のために、言いなりになりながら生きていく状態です。
ぼく自身が今そのような状態にあります。
一刻もはやく、他者から仕向けられた社畜人生に終止符を打ちたいものです。
ぼくは好きな時間に起きて好きな仕事をしたいです。
それでいて、大好きな仲間とはいつでも会える。
生活していくに満足なお金はしっかり確保できる。
そして、自分が選んだ道に於いて、確りと社会の役に立っていく。
そんな生活を切望します。
常識とはかけ離れていますが、自分の欲に素直になって生きるのはダメなのでしょうか?
自分の欲望に素直になってこそ、自分が主人公の人生を描いていけるのではないでしょうか?
少々長くなってしまいましたが、
以上、ぼくがメガバンクに勤めていながら満足できないたった1つの理由でした。